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2014年1月31日 (金)

私達のまち”仁方町とヤスリ”の話し

私たちのまち“呉市仁方町”は、ヤスリの全国シェア95%を占めるヤスリの生産地です。

仁方ヤスリのル-ツは大阪と言われています。(1824年頃に大阪で技術を習得した人が仁方に帰り、技術が広まったとも言われています)。農村鍛冶の副業程度から始まって、需要の高まりとともに、次第に家内工業として発展していきました。

当初の製法は、日本刀に使われる玉鋼(たまはがね)を使用してヤスリの形に成形し、

目立て(タガネで一筋ずつ目を打ち込んでいく工程)を行う訳ですが、手切りでコツコツ一本ずつ行うため、生産量には限りがありました。

 明治時代の後期に初歩的な目立機械が考案され、大正時代初期になって目立て機械に

モ-タ-が取り付けられるようになり、生産量が飛躍的に伸びるようになりました。

 昭和の戦争前までは、東京・大阪・新潟などでもヤスリの生産地としてありましたが、

都市での空襲等の戦災で大打撃をこうむり衰退していきました。仁方町は空襲等の被害も多少ありましたが、小さい町なので大都市ほどではなく被害を免れました。

その後、ヤスリ独自の材料を生産する圧延工場が地元に確立された事や、技術革新等もあいまって、高品質のヤスリが大量に出来るようになり、ヤスリの一大産地になっていき現在に至っております。

 仁方のヤスリの企業では、社名に“壺(ツボ)”の字を頭に使っているところが多く、また商標に“ツボ印”をほとんどの会社が付けています。(弊社ではツボミヤ印)

 この“壺”の由来は、ヤスリの焼き入れ時に使う“味噌”を保存している壺から採ったとも言われていますが、事の真相ははっきりしていません。

 以上が“仁方のヤスリ”のよもやま話です。

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